Eight Days A Week - 働く母は週8日営業

元DeNAwebディレクター、現在北陸で夫と共にビジネスを営む35歳ワーキングマザー。マメ(息子・6歳)、アズキ(娘・3歳)、フットワークの軽すぎる夫との4人暮らし。

保育園行事って必要ですか?

こんにちは、ミユキ(名字)です。

少し前の話ですが、年度末に保育園でお遊戯会があり、夫婦揃って見に行きました。

http://www.flickr.com/photos/7940758@N07/14499049133

photo by MIKI Yoshihito. (#mikiyoshihito)


人前の緊張に耐えられない息子

人前が苦手なマメ(息子)は前方に並べられた椅子に座ってカチーンと固まっていました。
この手のイベントではいつもこうです。
 
保護者席に着いた私たちを振り返って不安そうにするので、近寄ってマメの隣にしゃがみ
「ママもパパもいるから大丈夫だよ」
と励まして手を握りました。
 
やがてお遊戯会がスタート。
離れるとベソをかくので私はマメの横に控えたままです。
 
そして、歌ったり、歌に合わせて軽く踊ったり、名前を呼ばれて手を挙げて返事したり、といった一つひとつがことごとく出来ません。
そのうち椅子に座っているのも限界になり、
「抱っこぉー…」
と半泣きになり始めました。
 
どうしたものかと夫の方を振り返ると、「マメの言う通りにしてあげて」という表情をしていたので、私は椅子の横にしゃがんだままマメをギュッと抱きしめてやりました。
 
演目の最後は「おおきなかぶ」のお芝居です。
何とかネズミの衣装を着せることはできたものの、前に出て演技をできる雰囲気では全くありません。
しかしネズミなしではかぶが抜けません...。
 
おじいさんから順番に前に出ていってかぶを引っ張る園児たち。
遂に「ネズミのマメくーん」と呼ばれ、絶対に行かないという固い意志で踏ん張るマメを抱きかかえて前へ出ました。
片手でマメを抱き、もう片手でネコ役の背中を引っ張り、無事にかぶを抜くことができたのでした…。


さてお遊戯会の後は保護者と一緒に昼食会がありました。
すっかり場の緊張感もなくなって、本来のテンションを取り戻したマメはたっぷりご飯を食べて、最後に歌う歌も元気に歌いきってくれて、ようやくマメの「晴れ姿」を見ることができました。


我が子を谷に落とすのは何歳から

帰宅後、夫と話しました。

夫「なんかさ、俺はああいうお遊戯会って、やらなくていいと思うんだけど。今日のマメすごく嫌そうだったじゃん。あそこまでしてこんな事やる意味あんの?って思っちゃうんだよね。結局大人のエゴじゃないかな…」

私「確かに、あの年齢の子たちには全体的に内容が複雑過ぎるとは思いましたね…。普段の練習ではできても、人前では出来ない子もいるし。
でも、そういうのも含めて、それが集団生活とか社会の縮図であるって事を学ぶ場でもあるんじゃないですかね?
人前で恥ずかしいとか、上手くできなくて悔しいとかって、それこそこの先の人生でいくらでも経験するし。
ああいう場でもマイペースな子とか、引いちゃう子とか、ばっちり出来ちゃう子とか、色んな子がいる事も学ぶわけだし。
それで自分の性格が嫌だ、直したいって思うきっかけになるかもしれないし」

夫「うーん、そういうものかなぁ…」


と言いつつ、私も自分の意見に確信を持っているわけではありません。

保育園などの集団生活が後の人生の基礎となるのは間違いないであろうし、私の意見にももっともらしい部分はあるけれど、じゃあ今回のマメが感じたほどの高い精神的負荷をわずか3歳の子が経験するのがいい事なのかと言うと、そこは自信が持てません。

かと言って、辛い思いをして欲しくないという思いが強すぎてもいつまでも過保護になりそうだし、またはかえって本人が自分を変えたいと思うきっかけを奪ってしまうかもしれません。


これについては簡単に答えは出せないと言うか、その子ごとの性格や環境に応じてうまくやるしかない、みたいな曖昧な結論にならざるを得ないなぁと思います。


保育園行事の意義と、親の存在意義

ただ少なくとも、以下の2つについては私なりの結論が出ています。

  1. なぜお遊戯会などの保育園行事をやるのか(保育園行事のゴールとは)
  2. 親は子にとってどういう存在であるべきなのか

1.なぜお遊戯会などの保育園行事をやるのか(保育園行事のゴールとは)

おそらく大きく3つ、
  1. 親のため(園での姿、成長の様子を見られる)
  2. 子どものため(目標を設定して何かを達成することを学ぶ)
  3. 先生のため(子どもを教え導くことを学ぶ)
があるのかなと思います。
しかしやはり保育園というのは「子どものため」が第一で、その上で副次的に親や先生にも学びや喜びがうまれるというのが正しい姿であると私は思います。

少々物足りないくらいでいいから、ある程度皆ができる程度の出し物なり目標なりを設定してあげて、完璧にできた子でも、一部しかできたなかった子でも、それぞれどこかに達成感を得られるようにして欲しいなと思います。
そうすれば親としても「手をあげるところうまくできたね」とか「お返事しっかりできてたね」とか、どこかしら褒めてやれます。

今回のマメのお遊戯会の場合ですと、マメはリアルに何ひとつ出来なかったので、めちゃくちゃ些細なことを褒めるしかなく無理くり褒めた感が出てしまうわけです。
さすがにかわいそうです。



2.親は子にとってどういう存在であるべきなのか

これについてはとにかく私の信条に揺るぎはなく、
親は常に子どもの感情を認めて受け入れる存在でありたいと思っています。
みんな椅子に座ってる中で一人だけ抱っこしてほしいとベソをかいても、「もう3歳でしょ、みんなは一人で座ってるよ」とは決して言わないで、緊張や不安で親をすがりたい気持ちを受け止めてあげたいのです。

マメのビビリ症、もちろん克服してほしいです。
人前なんか気にせずのびのびいつも通りにお遊戯してる姿が見たいです。
でも、不安でビビッちゃうんだから仕方ないじゃないか。
「大丈夫、できるよ」っていくら励ましたって、本人ができない気分なら仕方ないじゃないか。

ならば私たちはただひたすら、本人が心を決めるまでの安全地帯でありたいと思うのです。
ここにいれば何にも怖くないし誰にも否定されないって場所でゆっくり気持ちを整えて、誰かに急かされたからじゃなくて、自分の意志とタイミングで動き出すことが、何より本人の自信を養うと私は信じているのです。



おわりに

ちなみに我々夫婦はコンプレックスとは無縁の性格でして、人前が恥ずかしいとか、上手くできなかったら怖いとか、失敗が不安だとか、リスクを取らない安全な人生を送りたいとか、微塵も思わないふたりです。

そんな両親から何でこんなにアガリでビビリな子が産まれたのか不思議なものです。

でも、子を産むまでは、自分と正反対の性格の子が産まれたら私はその子を愛せるだろうかと不安に思ったこともあったのですが、今のところそんな心配は全くの杞憂だったと思っています。自分の子はどんなのであれ可愛いです。大正義です。最高ですよ。

ただ逆に、自分自身にコンプレックスに思っている部分があるとしたら、子どもに同じ要素を見つけた時こそ親は受け入れにくいのかなと思います。
結局のところ、負の感情は自分自身を映し出す鏡なのですね。
今のところそういうのはないですが、いずれ子どもたちが大きくなってそんな自分たちとの負の相似点を見つけた時に、子どもではなくどれだけ自分自身を変える努力が出来るかが勝負どころだなと思います。


あ、そんな事を気付かせてくれたという事で、やっぱり保育園行事は意味があったのですね。
いやー、親になるって日々学びだなー。



そぼろご飯のおべんとう

こんにちは、ミユキ(名字)です。
今日から子どもたちを連れて、一足早く実家へ帰省します。
今まさに新幹線の中です。

駅のコンビニでそぼろ弁当を買いました。
私は昔からそぼろご飯には目がないのです。

そぼろご飯と言うと、必ず思い出す、ある出来事があります。

たぶんあれは小学生の時だったと思います。
遠足があり、母がお弁当を作ってくれました。

遠足のお弁当と言えば、子どもにとっては一大関心事。
特に女の子にとっては、カラフルなおかずやフルーツが入っているかとか、可愛い柄のカップやピックをあしらっているかとか、そんな事も気になります。

さて、お弁当の時間になり、仲良しの友達と集まってレジャーシートを敷き、ドキドキしながら私はお弁当箱の蓋を開けました。
すると中には、一面に3色のそぼろご飯。
その時私はまっさきにこう思いました。

何この、地味なお弁当…。

他に入っていたおかずも、どれもパッとしない色合いでした。
何よりそぼろご飯というのが、いかにも子どもらしくない大人のお弁当という感じがして、私はとにかく恥ずかしくて、友達から隠すようにして慌てて食べました。

何でこんな子どもらしくないお弁当をわざわざ作ったんだろう…
普通にご飯にふりかけにしてくれた方が、よっぽど可愛いのに…
そんな事を思いました。

 
さて、帰宅して母に空っぽのお弁当箱を渡した時、母は嬉しそうに私に言いました。

「今日のお弁当、どうだった?あなたの大好きなそぼろご飯にしたんだよ」

ハッとしました。
そうか、お母さんは私のために、私の好きなものを作ってくれたんだ。

私には姉が2人いて、当時は既に2人とも毎日お弁当を作ってもらっていたので、まさか自分のためにわざわざお弁当の中身を考えてくれたなんて思いもよらなかったのです。
今でこそ分かるけれど、毎日のお弁当にそぼろご飯みたいな面倒なものは作らないはずで、それは私の遠足というイベントのためのスペシャルメニューだったわけです。

母が私のために作ってくれたお弁当なのに、
それを地味で恥ずかしいと隠すように食べた自分の行動を思い返して、私は泣きそうになりました。

母は、私が喜んで食べている様子を想像してくれていたんだろうな。
なのに私は…


今でもその時の事を思い出すと、胸がキュッと締め付けられるような思いがします。



来月は保育園で初めての親子遠足。
そぼろご飯のおべんとうにしようかな、と思っています。

子ども達は喜んでくれるかな?
こんなのやだって言うかな?
それでもやっぱり作りたいな。


子どもの喘息が伝えようとしていること。

こんにちは、ミユキ(名字)です。


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3歳の息子マメは喘息持ちです。
3歳4ヶ月の時に初めて発作があり、その後2ヶ月に1度くらいの頻度で起きています。
決して高頻度ではないものの、私自身、小さい頃に喘息持ちだったので、発作の辛さは良く分かります。
遺伝したのは間違いないので、やっぱり申し訳なく思います。

先日も、前夜から咳が出がちだった中で保育園に登園させたところ、案の定午前中に電話がありました。
「ずっと咳き込んでいて元気もありません」
とのこと。

ただの咳で熱もない。
でも、喘息の発作は放置すればするほど回復に時間がかかります。
喘息持ちでない子なら、まぁしばらく様子を見ていてもらおう...となるところですが、
これは症状が軽いうちに対処した方がいいと判断し、すぐ迎えに行きました。

保育園に着くとマメはしおらしく床に座っていました。
それほど咳き込んでいるわけではありませんでした。
「お昼ごはんは全部食べたんですよ」と先生が教えてくれました。

でも、表情はとても寂しそうで、それはしんどいからだけじゃないという雰囲気がありました。
なんとなく勘付いていたことだけど、この子は私を待っていたんだ、と思いました。

そのままマメを背負って近くの小児科まで歩いて行きました。
咳はだいぶ落ち着いていて、自ら大きな口を開けて診察を受けました。
吸入は「おいしくない」と嫌がって外そうとしていたけれど、私と看護師さんの説得で何とか受け入れてくれました。

診察が終わったのは13時頃でした。
「お母さんお腹空いたから、ご飯食べに行くの付き合ってよ」と言って、近くのうどん屋さんへ行きました。
待合におもちゃがたくさん置いてあって、マメは魚つりのおもちゃを手に取って、座敷であれやこれやと喋りながら熱心に遊んでいました。
うどんの前に突き出しの小さなお茶菓子が出てきたのであげると、ニヤニヤしながら「あますぎるね」と言って大事に噛みしめていました。
結局うどんも少し食べて、デザートの羊羹も食べました。

店を出た後は、ふらふらと歩きながら、途中の公園で滑り台をしたり、解体工事を眺めながら大きな震動に2人でびっくりしたり、小学校の校庭で落ちている木を投げ合ったりして遊びました。


咳はどこに行ったんだよ、というくらいマメは元気でした。
そんなマメの姿を見て、喘息の発作はこの時間のために起きたんだなと感じていました。


アズキ(娘)が生まれて以来、3人や4人で過ごす時間と引き換えに、随分少なくなった私とマメとの2人だけの時間。
朝のほんのひと時とか、アズキが昼寝している間の30分とかではなくて、まるまる誰にも邪魔されない私たちのための時間。
マメに自覚はないのかもしれないけれど、そして私にも自覚はなかったけれど、私たちはお互いにこの時間を求めていたのだと思いました。


決して、喘息の発作というものがそういう心的要因だけで引き起こされると言いたいわけではありません。
愛の多寡と喘息にはなんの因果関係もありません。
でもマメが今回発作を起こしたのは、やっぱり「ママと触れ合っていたい」というシンプルで根源的な欲求が根っこにあったんじゃないかと思ったのです。
それは科学的に説明できることではなくて、夫に言ってもきっと「まぁそういうのもあるのかもね」と流されてしまうようなことだと思うけれど。


マメが嬉しそうにはしゃぐ姿を見て、私は自分の小さな頃のことを強く思い出しました。
お母さんと2人だけで過ごす時間が大好きだったなぁって。
学校がたまたま早く終わった日に家でお昼ごはんを食べたり、スーパーへ買い物に行ったり、そんな些細なことがお母さんと2人きりというだけで特別なものに感じられました。


必ずしもすべての親子関係が純粋な愛情だけで成立しているわけではなく、両者の間に歪みや嫉妬や恨みがあることも珍しくはありません。
けれど少なくとも私自身は「お母さん」との間にはシンプルな愛情と信頼の関係を築いてきました。というか、母が築いてくれました。
その幸せとこの上ない充足感を私はよく知っています。
だからこそ、同じ幸せを私からもマメに与えられれば最高だなと強く思っています。

そんなことをマメの喘息が伝えようとしてくれているのならば、私はこれからもマメの発作を大切に扱っていきたいし、いつか彼が大きくなって喘息が完治した後も、変わらず彼の発するサインに気付いてあげられる母親でいたいと思うのです。

難しいことかもしれないけど。