「母は強し」と言わないで
こんにちは、ミユキ(名字)です。
photo by Riccardo Palazzani
母親になって、時々言われる言葉のひとつに
「母は強し、だね!」
ってやつがあります。
私、この言葉が死ぬほど嫌いです。
同じように『母親』を経験してきた人に言われるのは全然いいんです。
でもそうじゃない人(大抵は若い男性)に言われるとめちゃくちゃ腹が立ちます。
その腹立たしさと言ったら、
「は?死ね!お前に母親の何が分かるっちゅうねん!」
と罵倒したくなるくらいです。(酷い…)
いや、さすがに言いませんが。
知りもしないで
「母は強し」って、
言う方は何気ない一言なんでしょうね。
でもこっちは毎日必死なんです。
なりふり構わず、あらゆるものを犠牲にして、文字通り骨身を削って子どもを育ててるんですよ。
産んだら自動的に「母親」になった訳じゃないんです。
多大なるコストを支払ってここまでたどり着いたんです。
それなのに「母は強しだね」なんて一言で評されてしまうと、それらをぜーんぶ無視されたような気持ちになるのです。
個々がかけてきた労力や時間なんて一顧だにされず、「母」という大きな一般名詞でひとくくりにされて、
「君が強いのは君が努力したからじゃない、君が『母親』だからだ」
って言われているような気がしてしまうのです。
被害妄想だって事はよーく分かっています。
気にしすぎなんだろうな、と思います。
何はともあれ褒めてくれているのだからその気持ちを素直に受けとめればいいじゃないかと思います。
でもやっぱり思うのです。
母親だから強いんじゃないよ。私自身が頑張ってきたから強くなったんだよって。
そりゃ、とは言っても母親だからこそこれまで頑張ってこれたのは事実です。
親やきょうだいや夫のためだったら頑張れなかったかもしれない。
母になって確かに私は強くなりました。
でも、そこに至るまでの、このギリギリの感情や戦いの軌跡があってこそなんです。
だから、そういう感情を理解してくれているであろう戦友たち…すなわち、先輩ママやママ友から同じ言葉を言われても、気になりません。
「ね、本当に大変だったよね。鍛えられたよね。強くなったよね」
って暗黙のうちに分かり合えているから。
じゃあ何と言ってほしいのか
「母は」なんて大きな主語でなくて、「ミユキさんは強くなったね」と言ってくれるのであれば、それはとても嬉しいことです。
いやー、めんどくさい。我ながらめんどくさいことを言っているけど、それくらい自己承認欲求が強いんだろうな。
まぁこうやって自己分析をしてみることで自分が卑屈すぎる気もしてきたので、
これからはもう少し、「母は強し」なんて薄っぺらいコメントを述べてくる男にも優しく接していけるようになりたいと...思います。
それではまた。
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