Eight Days A Week - 働く母は週8日営業

元DeNAwebディレクター、現在北陸で夫と共にビジネスを営む35歳ワーキングマザー。マメ(息子・6歳)、アズキ(娘・3歳)、フットワークの軽すぎる夫との4人暮らし。

夫が仕事辞めて起業して単身赴任してたんだけどビジネスが上手くいったから母子3人で後を追って東京から北陸に来ました。

こんにちは、ミユキ(名字)です。

我が家は元々首都圏在住の共働き夫婦だったのですが、夫の突然の脱サラ起業によりこの1年弱で色々と激しい動きがありまして、今回はそのあたりの話をひとつ。

いつもと違い個人的な話で恐縮ですが、読んでみたいという物好きな方がおられれば幸いです。

めちゃくちゃ長文ですがよろしければお付き合いください。

 

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(Photo by Ozgur POYRAZOGLU)

 

夫が脱サラ起業すると言い出した(2013年9月)

この時世間的に大きなトピックがあり、それに関連したとあるビジネスの可能性にバチーンと天啓を受けた夫が突然

「ミユキさん、俺は○○をやるよ」

と宣言しました。

いやいや、あんたまだ転職して1年経ってないし…やるったってノウハウもないし…

一度は「意味わかんない絶対無理」とはねのけましたが、元々フットワークが極軽で、周りが反対するほどかえってやる気を出し、かつ超がつくほど飽きっぽい性格の夫。

(ここは下手に反対するより好きにやらせるのが得策...)

と考えました。そのうち飽きてまた別のことを言い出すだろ。

ただ、新しいアイデアにワクワクし過ぎていた夫は

「今すぐ会社を辞めて準備を始めたい」

と言うので、そこは全力阻止。

少なくとも開業が確実に決まるまでは今の会社を辞めないことを唯一の条件として、表向きは同意しました。

 

開業準備が難航した(2013年9月〜2014年3月)

仕事のかたわら情報収集や準備を進めていた夫ですが、なかなか簡単に開業の目処は立たず、三歩進んで二歩下がるの繰り返し。
(想定通り…!)
夜神月顔でほくそ笑む私。
このまま難航しているうちにまた新しいことに興味を持って、数ヶ月後には全然違うアイデアを嬉々として語り始めているに違いない…
そんな風に考えていた時期が俺にもありました。
 

第2子を妊娠した(2014年2月)

ふつーこういう時って子作りを控えると思うし、私も乗り気でなかったのですが、
「開業後の方がバタバタしてそんな暇もなくなるし、マメ(息子)との年齢差や自分たちの年齢を考えても早い方がいい」
と言われ、元々2人は欲しいと思っていたので、確かにこの先いつタイミングが来るか分からないと思い決意しました。
ただなかなか授からずやきもきする日々で、ようやく妊娠した時はホッとしました。
 
 

開業の目処が立ちそう、と思ったらフライングで辞表を出して来た(2014年2月)

脱サラ宣言から5ヶ月、遂にある条件を手に入れて開業の目処が立ちそう、というところまで来ました。
と思ったらもう辞表を出していました。
「確定するまで辞めるなって言ったじゃん!」と責めると、
「でも辞表は退職一ヶ月前までに出さなきゃいけないでしょ。決まってから出したら一ヶ月無駄になるし」
とか何とか訳の分からない事を言われました。
 
 

事業が白紙に戻った(2014年4月)

が、最終契約前の諸調査の結果、その条件では開業できないことが判明し、全てが白紙撤回されました。

しかし既に夫の退職は確定していて後任も決まり、そもそも夫も仕事を続ける気がありません。

お前いい加減にしろよ…と罵詈雑言を浴びせたいところでしたが、本人も想定外の展開にすっかり打ちのめされており、私が責めるまでもないようでした。

そんなことよりこっちは絶賛妊婦でワーキングマザーです。自分の体と仕事とマメのことに集中せざるを得ない状態でした。

 

夫が専業主夫になった(2014年5月〜2016年1月)

晴れて無職となった夫にすべての家事育児を託し、私は時短勤務を解除してフルタイムに戻りました。
この辺りの話はここでも書いています。
 
 
夫は夫で開業に向けて再スタートを切りました。相変わらず熱意は強く、この頃には私も夫のビジネスの成功を少しずつ信じ始めることができてきて、開業を応援していました。
 
また、自分は思い切り働いて夫に家事育児を任せる生活スタイルが予想以上に快適で、このまま夫に専業主夫を続けてもらって自分が稼ぎ続けるのもアリだなぁとか思っていました。
 
 

アズキ(娘)が産まれた(2014年10月)

久し振りの新生児、妹出現により荒れるマメ。
大変な二人育児のスタートでしたが、夫と完全二人体制の育児だったので余裕でした。
このタイミングで夫が家にいたことは、いきなり仕事を辞めて無収入になった事なんかを補って余りあるメリットでした。
 
 

再び開業の目処が立った(2014年11月)

新たな条件を獲得し、契約も問題なく締結でき、遂に開業の目処が立ちました。
しかし、開業場所は北陸。
「よし、みんなで引越して新生活と新ビジネスがんばろ!」
みたいなテンションの夫。
それに猛反対したのが両実家。
「お前は好きにすればいいが、頼れる人もいない慣れない土地に、産まれたばかりの乳飲み子を含む母子を連れて行くな」
と至極まっとうな反論をいただきました。
私は私で、
「知らない土地」「新しい家」「一人きりの育児体制」「イヤイヤ期と赤ちゃん返りに新生活ストレスまで加わる上、保育園に行けないので一日中一緒にいるマメ」「24時間保育の必要な生後4ヶ月のアズキ」「自身の退職による収入減(実質家庭収入ゼロ)」
の全てを背負い切れる自信は到底なく、残留表明しました。
 
能天気な夫は「なんでみんな反対するの?」と納得できない感じでしたが、ここで抵抗するのは得策でないと思ったのか、単身赴任を受け入れました。
 
 

夫、単身北陸へ移住した(2015年2月)

夢と希望を背負って旅立つ夫を見送り、私たち母子は、すぐ近くに住む私の実家に移り住みました。
母たちが夫婦二人用に借りている小さなアパートに、我々母子三人で転がり込む迷惑は相当だったと思います。母たちには頭が上がりません…。
 
懸念はマメのこと。
パパ大好きで、夫のつかの間の専業主夫期間中は更に濃密な時間を日々過ごしていただけに、パパがいないことに激しくショックを受け、かなり辛い思いをさせました。
幸い母たちにはとても懐いていたので、母たちがパパ不在を補うようにたくさん愛を注いでくれました。
保育園の先生方も事情を把握していたので、甘えまくるマメに根気よく向き合ってくれました。感謝しています。
 
 

職場復帰した(2015年4月)

とにかく今は私が稼がねば!と早々に育休を終了。
アズキは新しい環境に放り込まれ、当初はミルク飲まない!ご飯食べない!と抵抗していましたが、二度目の育休復帰・マメと同じ保育園ということで私としては比較的気楽な復職でした。
 
一方夫の方は開業準備が遅れに遅れ、疲労やストレスで相当参っていたようです。
でも夫が自分で選んだ道だし、必要以上にはいたわることもせず、パパを恋しがるマメのために月一で帰郷もしてもらっていました。
寝る間もないほどの多忙な中での長距離移動は大変だったと思いますが、自分の好き勝手でマメに寂しい思いをさせている事だけは忘れてほしくなくて、「疲れてるだろうから無理に帰ってこなくていいよ」という言葉をいつも飲み込んでいました。
 
 

追っかけ移住について悩みに悩んだ(2015年6月)

遅れに遅れた開業準備でしたが、いざ開業すると驚くほど事業は好調で、当初の計画を大幅に上回る成果を上げ、追っかけ移住が現実味を帯びてきました。
もともと私たち母子の追っかけ移住については、開業後半年を目安に考えていました。
開業の遅れでその目安も後ろ倒しになり、このままでは実家に迷惑をかけ続けてしまいます。
また何よりマメの精神面において、パパの存在が非常に重要であることもよく分かりました。
多少パパがいなくて当たり前、何とかなるという家庭もあるかもしれないけれど…
マメにとってパパの不在は致命的と言えるほどで、母たちからも
「私たちの迷惑より、マメのために、移り住んであげてほしい」
と言われました。
 
しかし東京から北陸への移住となると私は退職を余儀なくされます。
今は順調とは言え、いつ傾くか分からない夫のビジネス。
かたや私の職場は、やりがいがあり、大好きな仲間に囲まれ、給与も申し分ありません。
自分のためにも家庭のためにも、仕事を手放すべきではないのではないか。
いや、家族が同じ場所で一緒に暮らすことの方が大事なのではないか。
この時期は本当に何度もなんども悩みました。
上司や先輩、友人など、たくさんの人に相談しました。
 
そして悩み抜いた末、移住を決めました。
 
私自身のことだけを考えると、もう行かなくていいやというのが本音でした。
事実、離れて暮らす中で、新ビジネスに邁進する夫と今までの環境で働き育児している私とのマインドに大きな乖離を感じ、気持ちが離れかけていたからです。
 
でもマメやアズキからパパを奪うことだけはできない!
マメがこれほどまでにパパを必要としている「3歳」は二度と帰ってこない。
そしてアズキにもマメのように「パパがいなくちゃダメ」ってくらいパパと愛し愛されてほしい。
二人が幸せでいることこそが、今の私の何よりの願い。
これが私から出た結論でした。
 
私は夫に、元々の事業目標を大幅に上回る目標数字を告げ、今月これを達成できたらみんなで引っ越します、と伝えました。
普通に考えれば達成できないような数字だったけれど、夫がどれくらい真剣に私たちの移住を望んでくれているか、その思いを測る気持ちもありました。
そして夫は見事にその目標を達成してくれました。
 

北陸に移住した(2015年8月)

さて妻に二言はありませんので、会社に正式に辞意を告げました。

家庭の事情を考慮し、最大限にスピーディに退職できるよう計らってくれたボスには感謝の一言です。

(この超激務の最中にミユキさんがとんでもないこと言い出すから僕は死にかかってます...半期の人員計画がすべてパアです...と言いながらも数日で最終出社日の調整をしてくれ、しかも私の想定より大幅に早めてくれました...)

慌ただしく荷物をまとめ、母たちと最後の別れを惜しみながら新天地へ。

 

しかし移住してからの数週間は闇に沈むような日々でした。

何も分からない土地。知り合いもおらず、夫は週7日24時間体制で仕事にかかりきり。

電車でどこにでも行けた首都圏と違いこちらは完全な車社会。

免許さえ持っていない私は、どこで買い物をすればいいのか、マメとアズキをどこで遊ばせればいいのか全く分かりません。

そして何より、子ども二人を24時間完全に世話する専業主婦という初めての経験。

一日中心の休まる事がなく、朝が来るたびに「今日この一日をどう乗り越えればいいんだろう」と涙が出そうになりました。

 

マメはマメで、相当なストレスだったと思います。

知らない場所に連れて来られ、なじみの公園も友達もいない。

やっと会えたパパは仕事が忙しくて実際には夜しか会えない。

やれ荷物の片付けだ必要な物の買い出しだ調べ物だと言ってママもろくに相手してくれない。

余裕をなくした私と欲求不満のマメが穏やかでいられるはずもなく、私が大声で怒鳴りマメが号泣する毎日が繰り返されました...。

夫も夫なりにサポートを試みてくれましたが、私は不満爆発でした。

もっと助けてよ!もっと子どもの相手してあげてよ!私が辛いのを分かってよ!.......

 

新生活が楽しくなった(2015年9月)

こちらの生活に慣れるにつれ、そんな不満もやがて薄れました。

市のパンフレットや育児サイトで必死に遊び場所を探してはGoogleマップに☆マークを付けてお出かけマップを作り、毎日子ども達を連れてお出かけしました。

初めての専業主婦生活も、慣れてくるとこんなに楽しいものかと思えました。これまで見逃していたであろう子どもたちのささやかな成長やちょっとした心の交流、そのひとつひとつが愛おしく、楽しくて。

「専業主婦なんて私には絶対不可能!仕事と育児の切り替えがあってこそ、どちらも充実できるんだ」

と頑なに信じていた私にとっては、天地がひっくり返るようなパラダイムシフトでした。

これほどの大きな環境変化がなければ私は仕事を辞めることはなかったでしょうし、この幸せに気づくこともなかったのでしょう。

だから結果的には私は、やっぱり夫に感謝しています。

 

そして今

さて、今の私は夫の会社に正式に入社し、経理担当として新たなキャリアをスタートしております。(笑)

子ども達は運良く見つかった保育園に入所させることができました。専業主婦ライフは一瞬だったけど、土日は3人でお出かけするのが何より楽しみです。

夫はあの性格なので、きっとまた遠からぬ将来にとんでもないビジネスアイデアを嬉々として語り始めるのでしょう。

その時にもまた、変化を楽しんで受け入れていける自分でいられたらいいなと思う次第です。

 

 

本当に長文になってしまいました。

お付き合いありがとうございました。

次回はまたいつもの育児ブログに戻りたいと思います!それではまた。

 

 

 

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