Eight Days A Week - 働く母は週8日営業

元DeNAwebディレクター、現在北陸で夫と共にビジネスを営む35歳ワーキングマザー。マメ(息子・6歳)、アズキ(娘・3歳)、フットワークの軽すぎる夫との4人暮らし。

歳をとるほど人生が楽しくなる理由を考えてみた。

こんにちは、ご無沙汰しております。ミユキ(名字)です。

2年も更新を空けてしまい、いつのまにか私は35歳になりました。早い。

 

年々歳はとっていくわけですけれども、爆増する白髪、蓄積する肉体疲労にもめげず今夏もホットパンツを履いております。

 

歳をとるって良いなぁーと思うことがここ最近多くなりました。

色々と理由を考えてみました。

 

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1.味が分かる

今までの私がバカ舌過ぎたせいなんですが、最近美味しいものを美味しいと認識できるようになりました。

なんでも「うまい!」と食べられる方が幸せだとこれまでは思っていましたが、そんなことない!

美味しいものを美味しいと認識できる生き方の方が遥かに幸福度が高い!ということを知ってしまいました。

幸い夫も同じように感じているらしく、日々の生活の合間に美味しいものを食べに行くのが最近の夫婦の楽しみでもあります。

共通の趣味ってそう言えば初めて持ったかもしれない。

 

2.セックスが気持ちいい

身もふたもない表現で申し訳ありませんが、そのままです。

正直20代までは9割いったふりでした。

ただここは重要なんですが、私は「女はいかなくても気持ちいいよ派閥」所属なんですよね。

いくいかないなんてどうでもいいわけですよ。

 

私にとってセックスには4つあって、

 

1.そんなに気持ち良くない。消化試合。

2.気持ち良いけど、あと一歩欲しいところに届かない

3.気持ち良くて、いかない

4.気持ち良くて、いく

 

実はこの中で唯一2.だけが「不満」なんです。

1.は、相手が気持ち良くなってくれてよかったなぁって感じで、言わば肩もみしてあげたようなもの。

3.と4.には違いがなくて、自分がじゅうぶん気持ち良くなれたかどうか、だけが大事なんですよね。じゅうぶん楽しませてくれたら、それで満足。

 

話が脱線していますが、

歳をとるほど2.が減って3.4.が増えてきた感じがあります。

理由は明確で、これまでは何とも感じなかった様々な刺激を性的な気持ち良さとして感じられるようになってきているんですよね。

肉体的な視野が広がった、とも言えるかな。

そんなん最高に決まってるよね。

 

3.自分や周りの環境を俯瞰できるようになってきた

これもただ私がアホだっただけなんですが、若いうちって本当に何も考えてなかったんです…。

中学生の頃に付き合っていた歳上の彼氏(とても頭が良かった)に、何度も何度もあらゆる場面で「よく考えて」と言われたけど、「考える」というのが何かが分からなかった。

「考える…考えるって何を…?」

歳を経て社会人になっても考え能力の向上は見られず。

私が勤めていたディー・エヌ・エーという会社は「まだこの世にない新しいサービスを生み出そう!新しい価値とインパクトを世の中に提供しよう!」というまさにベンチャーマインド溢れる企業だったのですが、

そんな会社では当然毎日のように

「ゼロから全く新しいアイデアで新しいサービスを考えて!」

と言われるわけで、考えスキルゼロの私は全く付いて行けず。

「考え方」自体もたくさん教わったのですが、自分のものにできないままでした。

 

そんな過去を振り返ってみると、私は「自分がどこに立っているか」がまず分かっていなかったんだろうなと思います。

会社の中の自分が見えてないから当然社会の中の会社も見えてないし、社会が何かもよく分からない。

 

それがなぜか最近は、自分のいる場所が徐々に見えてきている感じがします。

家庭という小さな世界を持ったことで、その中での自分の立場を否応なしに考えさせられ続ける数年間が、遅まきながら私に「他者と自分との関係性」を学ばせる機会になったのだと思います。

(子どもってほんと回避不可能かつ最高レベルの負荷なので、怠けた精神を鍛えるにはうってつけです…。)

 

おかげで今では「なぜ自分はこの仕事をしてこのような生活をしているのか」に明確な理由と納得感があり、「子どもを守り愛し抜く」という決意と覚悟もあり、自分の行動指針がはっきりしているというか。

「どこにいるかも分からんし、どこへ向かえばいいかも分からんからとりあえず流されるままにたゆたって行こう…」という浮き草マインドから抜け出したことで、固まった足場から周囲を眺めることができるようになりつつあるなと思います。

 

つまりどういうことかと言うと

自分の感情を基準に動く本能的な生き方から、自分の感情や感覚を外から見つめることに自覚的でいる生き方へシフトした、ということなのだと思います。

私は産まれてこのかたずーっと幸せだなぁという自覚の元に生きてきている珍しいタイプなのですが、それゆえに自分自身に懐疑的になる機会がなく、自分が持つ直感を信用して生きてきたのではないかと思うのです。

なんかいやだ、なんか好き、なんとなくこれ、という感覚で判断することに慣れていたし、小さな頃はそれで特に失敗もなかった。

成長するにつれて少しずつほころびが出来てきたのですが、元々勘で生きてきた人間にはそこに向き合う努力と忍耐がなく、ありものの財産でずっと間に合わせてきたような感じです。

 

ただこんな私でも、結婚やら子育てやら旦那さんの突然のジョブチェンジに伴うあれこれやらで、これまでのらりくらり躱してきた困難に向き合わざるを得なくなって。

その過程で、自分の感覚ありきの生き方から、なぜ自分はそう感じるのかを外から見つめる生き方を獲得しつつあるのかな、と思います。

 

感覚中心ではなく、感覚を外から見つめる方が、かえって自分の感じ方に敏感になれる、というのは面白いなぁ。

 

生きていると本当に年々色んな発見があるし、前に進んでいるという実感もあるので、素晴らしい。

肉体的なピークは過ぎたけど、精神的なピークはまだ先にあるようなので、人生を諦めるにはまだまだ早いもんだと思う、今日この頃です。

 

 

それではまた。